メガネふきウェブ

まんがを描いたり描いているふりをしたりしています。»jampan.net

「エア未亡人」の話

冬頃Web上の小咄を読んでカッとなって書いた長文が下書き保存欄に残っていたので、せっかくなので完成させて日の目を見させてあげようと思いました。
話題の記事の内容をご存知な方がそれは読みやすいですが、「オタクカップル版セカチュー」という認識さえあればお察しいただけると思います。

先立たれる不幸物語に寄せるいびつな思い

ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk
流行りましたよね! これ。記事を下描きで放置してる間に何ヶ月も昔の話になってしまいましたが。
例に漏れずわたしも読みました。泣きました。一人暮らしの涙腺のゆるさよ。


ですが読んでてチラチラ浮かんでしまった思案、そして「そんな無粋な!」と自分を呪った感覚がありました。そう。
「普段ネットユーザー(自分含め)がクソミソにバカにしてそうなお涙頂戴純愛ストーリーが、ちょいとオタクのエッセンスを添えるだけでこんなに共感されるなんて!」
……という。
あまりにもな感想だったのでそっと胸の中に封印しておこうと思っていたのですが、どうも巷でも議論になっているらしい(コメント欄とかはてブとか、諸々)ので流れに乗ってぶっちゃけておきます。


こんな感想を書いておいて、批判や非難がしたいわけではなく。
そんなことを邪推しながらも泣いてしまったのは事実なので、自分は一体何がグッときたのかを書き留めておきたいのです。


ここですね(ネタバレは勘弁な方はクライマックスなのでご注意)。

彼女「わたしが…いなくなっても…富澤はきっと…しあわせに…なってね…」

おお、行ってしまう者と残される者よ。
それまでに情景たっぷりに描かれた2人の蜜月の時が、彼女の死去という形で物理的に終了します。もう二度と、2人の幸せな日々は夢幻だったかのように帰ってこないのです。展開的にも泣き所のピークです。
そこであえて、彼女の言葉を冷静に、額面通りに受け取ってみましょう。


富澤(仮)氏は、彼女亡き後の人生を如何に幸せに生きるのでしょうか。


籍を入れて社会的に正式に結ばれたわけでもなく、かといってお互いに確固たる「(男と女の)お付き合いをしましょう」の契約をしたわけでもない(この場合事実上してるに等しいですが)。そういったただならぬ関係のパートナーに若くして先立たれるシチュエーションを心の中で「エア未亡人」と呼ぶことにしています。


大学生という人生まだまだこれからな時期に、重い! 重すぎるエア未亡人(男性を指していい言葉かは微妙ですが)の十字架を背負ってしまった富澤(仮)氏。
きっと描かれる事はないのでしょうが、彼の今後の人生を想像してみましょう。
こんなにもドラマティックな出会い、そして壮絶な別れを既に経験してしまった富澤氏の前に、再び共に歩いて行けるほどのパートナーが果たして現れるのでしょうか。
直球な言い方をすれば、読者を一点の曇りなく納得させるほどの新ヒロイン像が想像できるでしょうか。
真面目そうな彼の事だから、亡き彼女を想うあまりズブズブがんじがらめで前進のない人生を送ってしまう可能性だってありませんか。


現実だとこれが数年もするとけろりと他の女性と結婚して、それはそれで幸せそうにしていたりもするでしょう。しかしどこか、「亡き彼女に貞操を誓い、単身たくましく生き抜く」のような清廉潔白で一途な美談も見たい、という無責任な読者としての期待もあるのです。
ただしその場合、彼女が去り際に涙ながらに願った「パートナー自身の幸せ」が叶えられているのかは微妙なのです(幸せ=新しい恋愛か? あたりの曖昧さはともかく)。きっと「残してきたパートナーの足枷になりたくない」の意図でしょうから。


ああ、ジレンマ!!
燃えますね!!


……こんな好き放題書いてると、まるでフィクションだと確信してるような感がありますが(ノンフィクションだった場合要おわび物です)。


その後先述した2パターンのどちらかに転んでいたとしても、「そっか、よかったね。」と、安堵と残念のブレンドされた何とも生々しい気持ちになったと思われます。
そして、その「その後」が描かれず、お葬式の後に富澤氏がちょっと立ち直った所で終わっているからこそ、多くの読者がさわやかな余韻をもってブラウザのタブを閉じることができたのでしょう。
ひとまず、「お涙頂戴純愛ストーリー」としての舞台はここで綺麗に幕切れです。

その後の「未亡人もの」

では、(エアに限らず)未亡人の「その後」に焦点を当てた物語のジャンルがないのかといえばそんなこともなく、大聖典「めぞん一刻」を始めラブコメからフランス書院まで一定の需要と供給が成立しています。
惣一郎さんもろとも迎えてしまった五代くん、カッコよかったですね。


抗えぬ不幸に流される者から引き出す恋愛感情、
かたや不幸の先に流れ着いてしまった者から引き出す恋愛感情。
「人の死ひとつでお涙頂戴」と前者が揶揄されてしまったり、シナリオ面での読み応えが薄味になってしまうのは、このあたりに見るエネルギーの総数による印象かと思います。後者もあまりにヘヴィだとエンターテイメント性を阻害してしまうので、落とし所は大切です。


ただもう本当に空気を読まない事を言ってしまうと、別に立ち直るきっかけが異性のパートナーによる援助だとは限らないわけです。
お客様目線を意識して絶妙なタイミングで役者やキャラクターを投入できるフィクションならまだしも、ほら、今回採り上げた話なんて実話らしいですし……。
愛する人に先立たれるという非日常から日常へ戻る、と捉えると、そのへんはもう少しフワッとしてて繊細な物事の積み重ねであろうという気がしてきます。


「未亡人」という見出しが先行する中、「過去に陰りを持った人物に異性が手を差し伸べる」というパターンが基本形となっておりますが、それが単なる視野の狭窄となってしまっては残念です。
人生いろいろ、幸せの定義もいろいろです。
せっかく登場人物ひとりに見る時間軸の長いジャンルなのですから、長い人生大なり小なりいろんな物語を語ってよいのではないでしょうか。
そんな事を書きながらわたしも人生ペーペーの若輩ですのでぼんやりしてしまいますが。

自作品「ご愁傷ダーリン」に関する蛇足

せっかくなので最後に自分の作品に着地させてみますが、「ご愁傷ダーリン」はだいたいこういう意図を含みながら描いたつもりです。
「お涙頂戴」から「未亡人もの」へ移り変わる隙間を切り抜こうといいますか。征太郎の死そのものに関してはあんまり悲しさを強調しないように(メインで見せたいのはそこじゃないので)気を使っていたのですよ。
すんごーく反省点もいっぱいな作品なので、もっと上手いことやりようはあったとは思いますが。
もっと人生経験が豊かになってからリベンジしてみたいジャンルではあります。


……このタイミングで言うのも最高にイヤらしいですが、「ご愁傷ダーリン」委託通販分はぼちぼち返品されてくる気がするのでご所望の方はお早めにどうぞ……。

広告を非表示にする